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管理人が選ぶ2012年上半期ベスト:後編 『戦火の馬』丘の向こう

前編はこちら

前編で話が明後日の方向に行ってしまったので、話を戻して上半期ベストの話。
僕が上半期見た数少ない映画の中でもっとも忘れられないのはスピルバーグの『戦火の馬』だ。

この映画について書く前に『宇宙戦争(2005)』について書かざるを得ない。

『宇宙戦争』が紛れも無い傑作なのは事実だが、それは、地中から現れたトライポッドが残虐の限りを尽くしたり、子供大人のトム・クルーズがピーナッツバターを塗ったトーストを大人気なく壁へぶつけるからではなく(勿論それらのシーンは屈指の名シーンなのだが)、文字通りの”地獄巡り”をしているにもかかわらず、すんでのところで現世にとどまり続けているからだ。

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つまり実際には”地獄巡り”ではなくて、三途の川岸を歩く話もしくは三途の川クルーズと呼ぶのが正しい(トム・クルーズだけに)。
観客はトム・クルーズ一家の終着点が果たして彼岸に行くのか(それは死ぬということではない)現世にとどまるのかと、はらはらと注目し続けるしかない。
物語の中盤、フェリー乗り場へので何かが起こるのも偶然ではない、あちら側に行こうとすれば、必然的にああなる。当然この映画では川は不吉なものでしかないので、油断して近づこうものならあちら側の片鱗を目撃してしまう(川岸であちら側を目撃するのはいつも少女だ、『フランケンシュタイン』のように)。
地獄の列車を目撃したり、スピルバーグの執拗なほどの、一歩間違えればあっちにいってしまう際どい演出だ。勿論そこはスピルバーグなので、あちら側を見せることは決して無い。

物語中トム・クルーズ一家はひたすらギリギリのところで踏ん張っているのだが、
劇中最も”あちら側”に近づくキモのシーンがある。それがあの”丘”のシーンだ。

小高い丘の上では米軍と何かが戦っている、しかし丘の向こうにカメラが行く事は無い。
ここで、トム・クルーズの息子は、「俺は向こう側に行きたい」と言って、止めるトム・クルーズと口論する。
トム・クルーズは、一度あちらを見てしまったら帰ってくることが不可能だとわかっているので、必死に止めるのだが、娘が気がかりなのもあり、止められずに向こう側に送ってしまう。息子が画面から消えると、その後息子へカメラがついていく事はなく、完全に退場してしまう。もっとも、そんなシーンを見せられてしまったら本当の地獄めぐりなのだけれど…。

衝撃的なのは、この映画のラストシーンで、そこまで異常なほど丁寧に描写を重ねてきたスピルバーグが、息子とあっさりと再会させるのだ。その省略っぷりときたら、『リミッツ・オブ・コントロール』に登場する殺し屋ような潔い演出で、ほとんど記号だ。やっぱりスピルバーグも人の子、映してはならないものを映す勇気は無かったのだ。

…と、ここまで『宇宙戦争』の話。
やっと本題の『戦火の馬』の話に移ると、僕はこれを劇場で観て予想外に感動してしまった。児童小説を原作に持ち、劇中で血が一滴も流れない戦争映画と聞いて、また奇天烈な映画を撮ったな、と、さして期待せずに、劇場に足を運んだのだが、完全に誤りだったのを知ることになった。

さて、『宇宙戦争』でトム・クルーズの息子はあちら側でどんな光景を見たのか。答えが知りたければこの映画を観ればいい。馬の目線でありながら、あちら側の光景を堪能することができる。
序盤は、まさかそんな展開になるとは微塵も感じさせないくらい牧歌的な話だ、戦争に駆り出されて自身の最初の乗り手が壮絶に死んでからでさえ、画面は一切不吉なものを写さないので非常にヌルくて弛緩している。
ところが、病弱な少女に持ち主が移ってから事態は一転する。祖父と一緒に住んでいるその少女は、自分が見つけた馬を匿うのだが、体が弱いため乗馬することを祖父が許してはくれない。このあたりから画面がにわかに緊張し始める。観客も「きっと彼女は乗るぞ」と予感するのだが、同時に、乗ってしまったら恐ろしいことが起こるのではないかとも不安が過るのだ。そして、ついに少女の誕生日に馬に乗るのだけれど、そのシーンの恐ろしさといったら!

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少女が始めて乗馬する場所がなのである、『宇宙戦争』を観ていればその時点で確実に不吉なことが起きると予感せずにはいられないし、なおかつカメラが決して写すことのない丘の向こうは戻ってこれない場所なのだ。
そんな不安がる観客を気にせず、無邪気に馬を乗り回した少女は、不意に丘の向こうに消えてしまう。もちろん、カメラは丘の下から微動だにしないので丘の向こうは写さない。そして少女は画面に消えたまま現れない、追わないカメラ、…こんな恐ろしい事があるだろうか、きっと少女は戻ってこない、スピルバーグには向こう側を映す事はできないからだ、しかし、瞬間、カメラが不意に上昇を始め、なんと丘の向こうを写すのだ!
そこに何が写されるか、ここでは書かないとして、その後話は堰を切ったように、この世の映像とは思えないシーンの連続だ、あまりに現実感の薄い映像で、果たして、ここに生きた人間はいるのかも怪しい。戦車や砲台などの無機物が命を持ちはじめたり、あちらとこちらの中間地点で身動きが取れなくなってしまう主人公など、幻想的な映像に度肝を抜かれる。しかも恐ろしいことに、丘を超えた少女がその後どうなったのか、見てはいけない光景を見てしまった主人公の青年はどうなるのか、という問に、実にシリアスな回答が提示される。

そして『戦火の馬』で号泣したのは当然ラストシーンだ。それは綺麗な夕陽をバックにしているからではなく、感動的な音楽がかかるからでもない。青年と馬があのを越えて帰還するからだ。

3 Comments

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  1. 映画はすべて現実と非現実の境界ですよ。(ノンフィクションドキュメンタリーですら)
    それを傑作の必要十分条件にしちゃうのは笑っちゃいます。

  2. どう見せるかが成功してる、ってのが肝要なんだろ
    この記事のどこ読むとそれ自体が傑作の必要十分条件になってるって結論が出るのかが解らん

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