引用元:日劇に37年ぶりマッチで〜す!再び閉館に立ち会い「縁があるのかな」
日劇に37年ぶりマッチで〜す!再び閉館に立ち会い「縁があるのかな」
歌手、近藤真彦(53)が28日、東京・有楽町のTOHOシネマズ日劇で行われた初主演映画「青春グラフィティ スニーカーぶる〜す」(1981年公開)の特別上映イベントに出席。37年ぶりに日劇に“凱旋”した。
今回の上映は、2月4日をもって閉館する同劇場のフィナーレイベント「さよなら日劇ラストショウ」の一環。同作は、前身の日本劇場時代の81年2月に一度閉館した際も、クロージング作品として上映。日劇が今回、85年の歴史に幕を下ろすことになり、スクリーンに戻ってきた。
近藤は、81年の同作の公開初日以来、日劇に来場。16歳の自分が主演した同作を37年前と同様に最後列の席でファン900人と鑑賞し、「当時よりも緊張した。泣いてくれているファンの方もいて、ウルッときちゃった」と頭を下げた。
当時は田原俊彦(56)、野村義男(53)とたのきんトリオでブレークして、80年12月発売の楽曲「スニーカーぶる〜す」で歌手デビューしたばかり。人気絶頂だっただけに、81年の公開初日の上映とコンサートには、1万人が駆けつけて大騒ぎになった。
アイドル時代を振り返ったマッチは「ファンの方に顔とか頭を紙テープでこづかれた思い出がある」とおちゃめに告白。スタントにも挑戦している銀幕デビュー作に「恥ずかしさを通り越して、自分の子供を見ているよう」と照れ笑いした。
再び日劇の閉館に立ち会うことになり、「縁があるのかな。新しい作品にも参加できたら」としみじみ。2000年の「川の流れのように」以来の映画出演に“本気”を見せていた。
TOHOシネマズ日劇
1933年に東京・有楽町に日本劇場としてオープン。81年2月に老朽化のため、閉館。84年に日本劇場、日劇東宝、日劇プラザの3館の劇場として再オープン。
2002年、改装に伴い、日劇PLEX(「日劇1」「日劇2」「日劇3」)としてリニューアル。09年、3館の総称を「TOHOシネマズ日劇」に変更した。今年2月4日に閉館し、85年の歴史に幕を下ろす。
有楽町の別地区で3月29日にTOHOシネマズ日比谷が開業する。
1981年に日本劇場が閉館した際、「スニーカーぶる〜す」がクロージング作品として上映され、ファン1万人が並んだ
http://www.sanspo.com/geino/news/20180129/joh18012905030001-n1.html
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普通は上手くなるのに
「マッチ、セットを破壊しながら歌いまくり最後に死ぬ」とだけ書かれてて困惑したとのこと
走るシケインの異名を持つマッチさん
近藤真彦THE BEST ¥ 4,925 ソニーミュージックエンタテインメント, 1987-06-04 |