引用元:宮崎監督へ「絵本は無理だ」 鈴木P語るナウシカ舞台裏
3/25(木) 17:00 朝日新聞デジタル
https://news.yahoo.co.jp/articles/de3cfb35263a6cdd675b4c35fbec441a5e6c131d
宮崎駿監督が12年以上の歳月をかけて完成させた漫画『風の谷のナウシカ』。コロナ禍の現在こそ、改めて読み込みたいと考え、スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さん(72)に話を聞いた。抱腹絶倒の「連載当時の打ち明け話」を一部紹介する。
——漫画『風の谷のナウシカ』の連載が徳間書店の雑誌「アニメージュ」で始まった1982年当時、鈴木さんは同誌の編集部に在籍されていましたね。『ナウシカ』の連載はどのようにして始まったのでしょうか。
「宮さんが初めて劇場用映画の監督を務めた『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)の興行が大失敗してしまった。映画の世界って、1本でも当たらないと、その後がなかなか続かないんですよ。それでね、『この先はなさそうだから、アニメーターから足を洗おうか』と考えていた時期があったんです」
「そのころ、彼が一番やりたかったのは絵本です。『鈴木さん、絵本の世界でメシが食えるかな?』と聞かれた。僕は『申し訳ないけどそれは無理だ』と即答しました。彼は『そんなに大変か』と肩を落としていました」
——今になってみると、信じられない話ですね。
「ちょうどその頃、徳間書店グループ内では『映像企画が必要』という話になっていた。そこで、僕は宮さんが映画のために描きためてきた絵をまとめ上げて、映像企画会議に持ち込んだ」
「ところが、映画畑の人たちからは『原作もなく、いきなりオリジナル企画で映画を作るなんてありえない』と言われてしまった。それを宮さんに伝えたら、『わかりました。だったら原作の漫画、やっちゃいましょうよ』という話になり、『ナウシカ』へとつながったんです」
——絵本から漫画に路線変更したわけですね。
「宮さんは連載を始める前、『家族を養わなきゃいけない。1枚でいくらもらえるのか』と聞いてきた。僕、しょうがないからその場で『1万円』って決めたんですよ。そうしたら彼は『たった1万円か!』ってショックを受けてしまって……」
「当時、新人の原稿料が1枚3千円で、ちょっと描けるようになってくると5千円。超大家になると7万〜8万円というのが相場でした。漫画は連載1回分が24枚というのが基本だったので、1カ月分の原稿料が24万円。宮さんは『これで食べていけるかな』と心配していた。『途中から原稿料上げますよ』とは言ったんですけど、彼はぶつぶつ言いながら描き始めてくれました」
——連載中は苦労の連続だったと聞いています。
「物語の終盤で、腐海(ふかい)や王蟲(オーム)が、実は滅びた文明が作り上げた『人工的な生態系』だったことが明らかになる。それについて僕が『これ、まずいんじゃないですか』と言ったら、宮さんが怒っちゃうという事件がありました」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
(太田啓之)
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徳間康快がスケール大きな人だったらしい
鈴木と駿が惚れるレベル
>実は滅びた文明が
風の谷のナウシカのほうが
マンガ本よりも絵が好き
なんで、さし替えてまで、カットを変更したのかね
別に映画見た人への裏切りにはならないと思うがなぁ
ちゃぶ台ひっくり返して
ある意味残酷なラストにしたのはあの時代らしいし
うすっぺらいハッピーエンドより個人的には好きだったわ
それくらい嵌った
原作があるのを知って購入したが確かに初めは違和感があった
映画と違ってグロテスクだったからね
でも、あれはあれで面白かった
最後、アイディアが枯れたのか?飽きたのかな?って放り投げ感があったのが残念だったけど
でも、この人の作品って途中まではワクワクするのに
ラストグダグダってのがお約束だよね
『天と地と』だっけ、大量のチケットがゴミ箱に捨てられてたよ
小さい頃なかなか衝撃を受けたストーリー
マジかよ。世の中わかんねぇもんだな
マニアには受けて各地でリバイバル上映しまくりではあった
でも興収が良かったわけではないんだから美談ぽく言うのはウソだよ
大藤信郎賞を受賞してたな
個人的にはあっちのアニメ化のがいい
なんでアサ芸とテレランの徳間書店編集者に相談するんだよ。