引用元:【芸能】石原プロの“幻の社歌”が36年ぶり発見…裕次郎さん命日に無料配信へ
この歌は、石原プロのスタッフの間では「社歌があるらしい」という都市伝説のような伝わり方になっていたという。石原プロによると、裕次郎さんは1978年の年明け、同年5月の設立10周年のパーティーで自ら歌おうと、なかにしさんに社歌を依頼。「太陽と星たちの賛歌」(作詞・なかにし礼、作曲・羽田健太郎)が完成したが、同年12月に舌がんが発覚した裕次郎さんは体調不良でこの歌を披露することができなかった。その後、病魔との闘いが続き、社歌については語られることがなくなった。
石原プロでは、この社歌を舘ひろし(63)が歌い、裕次郎さんの命日の7月17日をめどに同プロのホームページで無料配信を開始する予定。舘は「石原裕次郎さんからの贈り物だと思います。歌詞を読んだ時、社員、仲間への激励と石原さんの魂の叫びだと感じました」と話している。
今後、舘のほか、裕次郎さんの妻まき子さん(80)、渡哲也(72)、神田正輝(63)、裕次郎さんにゆかりのある俳優らで、米国の名曲「ウィー・アー・ザ・ワールド」のように大合唱し、CD化する構想もある。また、かつて石原プロに所属した浅丘ルリ子(73)の主演映画「愛の化石」の原版も日活の倉庫から見つかるなど、昭和の歴史が次々と発掘されている。
ソース:スポニチ Sponichi Annex
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/03/19/kiji/K20140319007803070.html
画像:「石原プロモーション50年史」に掲載されている故石原裕次郎さん(左)と渡哲也の1972年のツーショット
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ゆゆゆゆゆゆゆゆうじろう~
すごい老けて見えるのと、すごい上司風格
松田聖子、ゆうたろう、石原慎太郎、良純、長男、末っ子
こいつら裕次郎が居なかったらどうなってたんだろうな?
徳重恥なんて最近聞いたけど、10年前からいるんだな。
21世紀の石原裕次郎オーディションで小泉孝太郎や
ゆうたろうを差し置いて優勝したネクストジェネレーション俳優
なんだぞ
・1976年
神田が「大都会 闘いの日々」の台本を読まずに捨ててしまい、
セリフを言えなくなって宍戸錠氏に呆れられる。
・1978年
峰竜太氏が「大都会PARTⅡ」の北九州ロケでの犯人追跡シーンの際、
メインキャストの故・松田優作氏演じる同僚刑事を追い抜き、目立とうとした為に、スタッフ・キャストから顰蹙を買う
・1979年
苅谷俊介氏が「大都会PARTⅢ」の犯人追跡シーン撮影中、
銭湯で転倒し大怪我。
・1982年
「西部警察PART-Ⅱ」の撮影の合間に、三浦友和氏が舘の用意してたアイスを
勝手に食べた為に舘が憤慨し喧嘩になる。
・1983年
石原良純氏が「西部警察PART-Ⅲ」のロケ終了後の宴会後、お好み焼きを金庫に隠し、
おにぎりを懐に隠して廃棄してるのを舘が発見。良純氏は舘に殴られる。
・1984年
御木裕氏が裕次郎氏の行きつけのバーで、故・又野誠治氏と
裕次郎氏がボトルキープしたあった酒を飲み酔っ払い、
翌日の撮影に遅刻。御木氏は渡に殴られ、又野氏は故・地井武男氏に殴られる。
・1993年
「クイズ100万ボルト」にて
渡が「北の国から」の田中邦衛氏のモノマネを演じる。
神田が「バカ殿様」を演じる。
神田正輝が稼いでくる旅サラダのギャラと
赤い霊柩車&不倫調査員・片山由美のギャラぐらい。
必ずセットだし、若い女のファンが
付くわけがない。若手の育成に問題ありだな。
爺どもが死んだら倒産だろ。
大物ヅラしてふんずり返ってるのが
峰竜太や良純たちが逃げて行った事の大きな理由と
若手の育成失敗や会社没落のはじまり。
舘なんて今頃は落ちぶれ俳優。
よくみたら徳重が混じってる事にうっかり気づかなかったw