引用元:【芸能】「やすらぎの郷」で蘇る「国策映画」に反戦メッセージを込めた監督たち
1: きゅう ★@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 06:45:14.30 ID:CAP_USER9.net
専門家から高く評価されている放映中の
倉本聰氏作の帯ドラマ「
やすらぎの郷」(テレビ朝日系)。藤竜也演じる「高井秀次」のモデルが高倉健であるとともに笠智衆であるように、同ドラマは倉本氏が知る人物やエピソードをモデルにして脚本が執筆されているようである。
そんな同ドラマの8月第1週で語られたのは「戦争」だ。志半ばで戦死した映画監督や戦意高揚のために製作された国策映画を絡めたストーリーで、もちろんフィクションだが、「国策映画」がどんなものか、また、心ならずも戦意高揚への協力を余儀なくされた当時の映画関係者が映画製作とどう向き合ってきたか当時の状況が丁寧に描かれている。
実際に戦時中、国策映画を撮らされ、戦死した監督には山中貞雄監督らがいた。一方で国策映画と見せかけ、反戦への想いを込めて映画を撮った監督もいたという。映画ライターに聞いた。
「有名なところでは黒澤明監督の『一番美しく』があります。戦闘機の部品を作る女子挺身隊の話ですが、その作業はとてもハード。眠らずに働き、親の死に目にも会えない。そんな作業を続ける少女の姿は立派なようで実は異様なもの。この戦争は間違っていると観る側は思ったでしょう。また、少女たちが行進の時に演奏する曲は敵国アメリカの作曲家・スーザのマーチですから、黒澤監督は大胆なことをしたものです」
木下惠介監督の「陸軍」も有名だ。田中絹代演じる母親が転び、よろめきながら出征する息子を延々と追いかける長回しのカットは圧巻で、戦争に送り出したくない母親の気持ちが痛いほど伝わってくる。これで戦意が高揚するわけがない。
国策映画を撮りたくなかった監督たちの気持ち。日本を愛しながらも映画や文化を愛した若い命が散り、残された人たちにどのような傷が残ったのか。そんな現実に思いを致しながら視聴すれば、このドラマがより胸に沁み入るはずだ。
(笠松和美)
http://www.asagei.com/excerpt/86783
やすらぎの郷
『やすらぎの郷』(やすらぎのさと)はテレビ朝日系列『帯ドラマ劇場』(おびドラマシアター)枠(毎週月曜 – 金曜12:30 – 12:50)にて、2017年4月3日から放送中の、同枠第1作となる帯ドラマである。倉本聰のオリジナル脚本作品。主演は石坂浩二で、浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ、五月みどり、野際陽子、八千草薫、藤竜也、ミッキー・カーチスら昭和を代表する俳優が共演する。放送話数は130話(予定)。
公式ホームページに掲載された番宣コピーは『さいごは笑って、いきましょう。
wikipediaより
倉本聰
倉本 聰(くらもと そう、1934年12月31日 – )は、日本の脚本家・劇作家・演出家。本名、山谷馨。東京府(現・東京都)出身。東京大学文学部美学科卒業。夫人は女優の平木久子(演劇集団 円所属)。
wikipediaより
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12: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 07:27:37.01 ID:vwMrQpyy0.net
>>1
知らんがな
14: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 07:30:00.90 ID:SCP9WRC80.net
>>1
山本薩夫や今井正みたいな共産党系の巨匠が今見ても見所ある戦意高揚映画を作っていたことは無視するのな
黒澤明も零戦を使ったシャシン作りたかった事も知らないのな
国策映画を作らなかったって胸を張って言えるのは退屈な作品ばかり作った亀井文夫くらいだろ?
山本薩夫
山本 薩夫(やまもと さつお、1910年7月15日 – 1983年8月11日)は、日本の映画監督である。鹿児島県出身。早稲田大学文学部独文科中退。甥たち(兄山本勝巳の子)が、俳優の山本學、山本圭、山本亘で、自身の作品への配役も多い。息子の山本駿、山本洋も映画監督。 両親とも石川県小松市の出身(薩夫の本籍も石川県)。札幌農学校を中退して農商務省の官吏になった父が愛知県庁を振り出しに各地の県庁を転々とし、鹿児島県庁勤務時に薩夫が生まれた。名前もそこから付けられた。6人兄弟の末っ子で兄弟はそれぞれ別の土地で生まれた。薩夫が2歳になる前に父が愛媛県庁に転勤し、一家は愛媛県松山市に引っ越す。この時期に長兄の友人で、のちに共産党弾圧で獄死した重松鶴之助や俳人・中村草田男らの知遇を得る。重松の勧めで通った油絵の塾の先生が伊丹万作だった。以後中学一年まで松山で育つ。1923年に旧制松山中学校(現:愛媛県立松山東高等学校)に入学するが、父が定年となり、兄が東京大学に入学したことを機に一家は上京し、薩夫も明治中学に編入した。
wikipediaより
今井正
今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 – 1991年11月22日)は、日本の映画監督。 戦後日本映画の左翼ヒューマニズムを代表する名匠である。東京帝国大学卒業後、東宝の前身J.O.スタヂオに入り、入社2年で監督に昇進。戦後は独立プロ運動の中心人物として数多くの社会派映画を手がけた。『純愛物語』でベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)、『武士道残酷物語』で同映画祭グランプリを受賞、キネマ旬報ベスト・テンでは5本の監督作がベスト・ワンに選出されるなど、賞歴も多く作品の評価は高い。日本映画復興会議初代議長でもある。主な監督作に『青い山脈』『また逢う日まで』『真昼の暗黒』『キクとイサム』など。 生い立ち 1912年(明治45年)1月8日、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区広尾)の祥雲寺の中にある霊泉院に、その住職である父・六助と母・カネの長男として生まれる。
wikipediaより
18: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 07:58:38.73 ID:+EDM6Qf10.net
>>1
時代により見方も受け止め方も違うのをむりやりひとつの見方に染めようとする点は、立場違えど国策映画と何ひとつ変わらない態度
肝に命じるべきだな
「今は反戦+利権」という書き込みがあるけど、下心ありありの輩が多すぎる
34: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 11:03:25.74 ID:2SMpAFQd0.net
>>1
ドラマの中で百田尚樹を痛烈に批判してるよな。
酷いだの、軽くて哲学がないだの、よく知らないくせに保守的な発言で体制側に気に入られている等。
5: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 07:00:13.41 ID:B0/Y9CXN0.net
満鉄映画社とかは謎の甘粕正彦が所長をやって、色々日本でくいつめた活動家も潜り込んで
きた不思議な会社だったからな。ヒトラーも東条英機も映画はうまく使ったよね。
8: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 07:06:25.50 ID:C0xfg5xx0.net
アンジェイ・ワイダなんて、映画人生ほとんどすべてが国策映画に反体制を潜り込ませた作品
誰にも邪魔されずに作れたのは「カチン」ぐらいだね
アンジェイ・ワイダ
アンジェイ・ワイダ(波: Andrzej Wajda、1926年3月6日 – 2016年10月9日)は、ポーランドの映画監督。親日家として知られた。
来歴
1926年3月6日、ポーランド東北部のスヴァウキで生まれる。ポーランド軍大尉だった父は対独戦中にカティンの森事件に巻き込まれて亡くなる。1944年、青年時代に博物館で開かれた日本美術展において喜多川歌麿や葛飾北斎などの浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術家を志す。
wikipediaより
13: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 07:29:32.02 ID:QBZ8qB8a0.net
本当に撮りたくなかったら圧巻の長回しとか撮れないからw
テーマは嫌いでも自分流に料理して撮りたい画を人の金で撮るのが一流の映画人。
多分ノリノリで撮ってただろ、本人の思想信条に関わらず。
26: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 09:53:20.20 ID:mjl6joXd0.net
撮りたくなかったというよりも制約の中で撮りたいものを撮ったんだろう
33: 名無しさん@恐縮です@\(^o^)/ 2017/08/15(火) 10:59:53.54 ID:GR0yqsA50.net
まあ軍歌とかも悲しい感じのやつが多いよね
日本人のメンタリティとして戦意高揚のためでも明るく楽しいのよりも悲壮感漂う感じになっちゃう