引用元:高畑勲監督「母をたずねて三千里」が西洋人にも受け入られた理由
高畑勲監督「母をたずねて三千里」が西洋人にも受け入られた理由
https://www.cinematoday.jp/news/N0109540
トークイベントを行った(写真左から)東京藝術大学特任准教授のイラン・グェン、小田部羊一、モデレーターのグザヴィエ・カワ=トポール。(撮影:中山治美)
今年の名誉ゲストとして現地入りした小田部羊一。(写真:中山治美)
フランスで開催された第43回アヌシー国際アニメーション映画祭で、故・高畑勲監督が手掛けたテレビシリーズ「母をたずねて三千里」(1976)の制作秘話を語るイベントがあり、キャラクターデザインと作画監督を務めた小田部羊一が登壇した。トークの前には第1話の「いかないでおかあさん」と第2話の「ジェノバの少年マルコ」の上映もあり、特に親子の別れが切ない1話では会場のあちこちからすすり泣く声が響き、改めて不朽の名作の威力を見せつけていた。
同作は1976年1月4日〜12月26日に、フジテレビ系のテレビアニメシリーズ「世界名作劇場」の枠で放送された。イタリアの作家エドモンド・デ・アミーチスの小説「クオレ」を原作に、イタリアの港町ジェノバに住む少年マルコが、アルゼンチンに出稼ぎに行ったものの連絡が途絶えてしまった母アンナを探して旅に出る“児童股旅もの(高畑監督)” だ。
スタッフは、同じ世界名作劇場で1974年に放送されて好評だった「アルプスの少女ハイジ」のスタッフが再集結。演出を高畑監督、場面設定を宮崎駿、さらに作画監督補佐にはNHK連続テレビ小説「なつぞら」のヒロイン・なつのモデルであり、小田部氏の夫人である奥山玲子さんが参加。イタリアをはじめ海外でも放送されており、この日も約200席の会場が学生などで満席となった。
もっとも小田部は「マルコがお母さんを探してアルゼンチンを延々と旅するものですから、描く方も辛かった。宮崎駿も同じ気持ちだったのではないでしょうか」と振り返った。
アニメの制作で海外ロケが珍しかった時代、「アルプスの少女ハイジ」に続いて本作でもイタリアとアルゼンチンへ向かった。しかし1年に及んだ「アルプスの少女ハイジ」での座りっぱなしの生活がたたって、小田部はぎっくり腰になってしまった。長旅に耐えられそうにないと思った小田部は同行を断念。現地へは高畑監督、宮崎、脚本の深沢一夫、美術監督の椋尾篁さんの4人が向かった。
参加できない代わりにと、高畑監督から手渡されたのが「ヨーロッパ俳優年鑑」。そこに掲載されていた多数の写真から、キャラクターを作るヒントにしたという。例えば、マルコのお父さんはイタリア映画『鉄道員』(1956)の監督・脚本家・俳優のピエトロ・ジェルミ。お母さんはルネ・クレマン監督『居酒屋』(1956)の主演女優マリア・シェル。旅先で出会うペッピーノ一座の座長ペッピーノ一おじさんは、イタリア映画『ナポリの饗宴』(1954)のパオロ・ストッパといった具合だ。
小田部は「当時、日本人には欧州人が珍しいわけです。なので出会った欧米人を一生懸命、観察しました。イタリア人が食事をして『ボーノ(おいしい!)』と表現したり、肩をすくめたりする仕草を。ありとあらゆる参考になるものを作品に取り入れようと頑張りました」と言う。本作が西洋人にも難なく受け入られている理由が、ここにあるようだ。
さらに高畑監督が物語に取り入れたのは、イタリアで1940〜50年代に盛んとなったネオリアリズムで、まだ幼いマルコ少年に現実社会の厳しさを容赦なく味あわさせた。
小田部は「高畑監督も(同期の『狼少年ケン』などで知られる)池田宏も、戦後に入ってきたイタリアのネオリアリズムを描いた映画をたくさん観ていましたので、アニメとはいえ現実の厳しさをきちんと表現しなければいけないという意思を持っていました。とはいえ厳しすぎず、さりげなく感じさせる。そういう計算が演出でされていると思います」と分析した。
(以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
(取材・文:中山治美)
[content_block id=18954]
この作品、東映動画出身者で固めた当時の最高スタッフの作った作品とも言える
暗いシーンが多かったので子供ウケはしなかったんだが自分は名作シリーズの中ではNo.1だと思ってる
原作は短編なので話はほとんどがオリジナル。高畑作品の中でも傑出している
えっ? そうなの
ドイツ旅行したときホテルのテレビザッピングしてたら子供向けアニメチャンネルでハイジやってた
そういや、君たちはどう生きるか、アレってクオレの翻案小説だよねぇ。
1年間に引き伸ばして
どうかしてるわー(いい意味で)
かぐや姫はもっと評価されて良い
バカこくんでねぇ。隣の山田くんだろが
あぶく銭はアテにするなを教えてくれた
でも大人だったら見て見ぬ振りしたりことに子供らしい親切心から旅の途中で手を貸した人や助けてくれた人が
後に再会して大きな力になってくれたりと、「大河ドラマ」らしい物語だった。
この辺今の若い子だったら「伏線回収スゲーーーー」とか言っちゃうトコロだ。
これは1年の長丁場でないとできないことで、1クール短編では無理。
同時に今の自分では「この辛い物語が1年続くのか・・・( ´ロ` ;)」と思うと最後が判ってても全部見るのはしんどい。
制作陣もそうだったらしいけど、観ている人はマルコと一緒に旅をしているような感覚になるんだよね
マルコが大人に有り金全部盗まれたりショッキングな場面も結構あった
悪い人が出てこないファンタジーの住人ハイジと違ってこっちは現実の中を生きているリアルな主人公なんだ
でも酷い目にあったりしても捨てる神あれば拾う神ありで、助けてくれる人もちゃんといる
高畑勲が言ってるように三千里は股旅ものなんだよね
宮崎駿がよく言う「この世界は生きるに値する」と思えるような励ましをもらえるドラマだった
個人的には日本のTVアニメ史上最高傑作だと思ってる
ラフな絵コンテは描いていたよ
画力はあった
と言うのが流行ったんやで。
生き別れの母を子供が探す話。
母を訪ねて三千里はスケールのでかい瞼の母やったんやな
イタリアでルパンが大人気だったのは有名だけど実は子供には内容が難しくて
海外であまり受けなかった初代ガンダムが唯一受けたのもイタリアなんだよな
それだけ色んな日本のアニメ観て視聴者のレベルも上がってたってことだろうけど
ザンボット3の最終回観て衝撃のあまりゲロっちゃったインザーギw
インザーギの妹はアタックナンバー1の影響でバレー選手じゃなかったっけ
日本以外でプリキュアを全シリーズ放送してる唯一の国なんだよな、台湾はまだ追い付いてないはず
セーラームーンも今最初から再放送してて、なんかグッズも売ってるとか
今見たら面白いんだろうけどな
地方出身だが高校の頃再放送で朝やってたが超絶面白かった
赤毛のアンも
子供の頃は退屈で仕方なかったのに
母を訪ねてはしんどくて脱落、赤毛のアンはCS入った時に見たら面白かった
でも手を合わせるときにキリスト教式じゃなくて仏教式で拝んでたのはちょっと冷めた
宮崎駿がもうちょっとガッチリ作品に食い込んでたらそういうミスはなかったろうな
そう物事と世間がわかってからでないとマルコとアンの面白さはわからない
ハイジやネロみたいなあからさまな辛さがないから
でもバロンのやつは平坦でおかんが死ぬ以外特に大きいこと起こらないから子供でも見れてた
・最終回に母親と再会
・最終回にクララが立つ
もう一声
ヒルダよりも真面だったしw
ジェノバに行きたくなった
ラスカルなんて最終回終わってひと月ぐらい何もする気が
起こらないぐらい呆然としてしまった。
ラスカルの最終回は静謐でいいよな
原作はさらにいい
ペットを森に捨てちゃうんだから今だとコンプラ的にアウトっぽいけどな
捨てたんじゃなくリリースだから
っていえば似非愛護家は黙るよ
飼ってた小鹿を殺すラストだっけ?
グレゴリー・ペッグじゃないねん
それ最近も思い出して懐かしいと思ってた
子供の頃TVで見て泣いたわ
全然TVでやってくれないね
泣けるで言えばアンのマシュー
まあアンはアンが大きくなってからおもしろくない話がずっと続くから、マシューが死ぬところまで見続けるのはちょっと忍耐いるけど
マリラって真面目で厳しくてアンのやる事に怒ってばかりのおばさんというイメージだったけど、今思えば常識人な上にあんな妄想ばかりして夢うつつな上にヒスってばかり女の子を家に置いてやって言い分もそれなりに聞いてあげる器の大きい人だよね
駅でアンを受け入れたのはマシューだったしなあ
まさか暴落騒ぎで心臓麻痺とは
このアニメ再放送してたけど見たことない
フローネやトムソーヤの方がワクワクして大好き
赤毛のアンも冒険活劇だけどそういうジャンルになってない
男だと受け入れにくいんだろか
赤毛のアンは音楽が良かったなぁ
原作を忠実に淡々となぞっていってるだけなんだけど演出が良いんだろうね飽きなかった
アンは音楽がすばらしい
オーケストラ使うなんてずるいよw
フローネはご都合良すぎ
無人島にそんなものは無い
まぁ好みが分かれるかもしれんがこの作品はむしろ30代以上の人が見ると面白いんじゃないかな
登場してくる人物は自分勝手でだらしなかったりずる賢いんだけどちゃんと救いがあるんだわ
そういう意味じゃ子供向けじゃないんだけど